理事長挨拶

― Greeting ―

理事長挨拶
学校法人 獨協学園
理事長 猪 口 雄 二

 獨協学園は、2023年10月22日に創立140周年を迎えます。

 1881(明治14)年、明治期の政界学界において重要な役割を果たした品川彌次郎、桂太郎、平田東助、山脇玄、青木周藏らによって獨逸学協会が創立しました。獨逸学協会は、ドイツを範として日本を近代化するための学問として、系統的かつ組織的にドイツ学を日本に振興するため、月刊雑誌の発行、翻訳、ドイツ学の講義及び学校開設を主要な事業としました。そして、1883(明治16)年、啓蒙思想家の西周を初代校長に、獨協学園の母体である獨逸学協会学校(初等科・高等科)が設立されました。

 西周は、仮開校式において、「学問を成すには、まず志を立てることである。志を立て学問に従事したら、次に必要なのは勉強である。勉強は知らないことを知り、それを忘れないようにする日常の努力のことである。世に教育には三育の説があり、智、徳、体の養育を失ってはいけない。志を立て、身体を強健にして、すべてに専心注意し、放心惰慢に陥らないこと。」が学業の要訣であると、学生に向かって話しました。

 その後、設置された専修科では、5大法律学校とともに判検事試験の受験資格を持ち、多くの司法官を輩出しましたが、専修科廃止後の獨逸学協会学校は、ドイツ語を教える旧制中学校として、法曹界、医学界を志す者の旧制高校への予備門としての位置づけとなりました。

 時代は移り、第二次世界大戦の影響などによる混迷のなか、1948(昭和23)年に現在の獨協中学高等学校が、新制の中学校・高等学校として認可されました。

 1952年、第三次吉田内閣の文部大臣を辞職した獨逸学協会学校卒業生の天野貞祐が、関係者からの強い要請により第13代校長に就任し、自らの理念である哲学に立脚した教育を行い、母校の再建に尽力しました。稀代の実業家であった関湊の協力も得て、1964年、更に高度な人材育成を目指すため、「学問を通じての人間形成の場」として、獨協大学が設置されました。

 そして、1973年に獨協医科大学、1980年に獨協埼玉高等学校(2001年に獨協埼玉中学校)、更には1987年に姫路獨協大学を設置し、現在の獨協学園の骨格がほぼ完成しました。その後も社会の要請に応じた教育の充実、社会貢献のため、新たな学部、学群、大学院、専門学校などを設置し、現在の組織に至っております。各校においては、西や天野らの学問や教育に対する理念が、今もなお脈々と継承され実践されています。

 獨協学園は、「各校の自主性、独自性を尊重しつつ、ひとつの法人として整合性をもって経営する」という方針のもと各校が独自に運営されています。昨今の世界状況及び我が国における少子化などを背景に、私立学校を取り巻く経営環境は厳しさを増しています。獨協学園では、より強固な経営基盤を確立し今後の厳しい競争に勝ち残っていくため、1998年から中長期計画として「獨協学園基本計画」を策定し、2年毎の見直しを実施しています。2022年度には、第13次として2028年までの計画を策定しました。この計画に基づき、当学園は多様化する社会の教育ニーズに対応できる教育者の充実、本学の伝統である国際交流の重視、キャンパス・アメニティの充実、積極的な情報公開、コンプライアンス体制の強化等を進め、これらを通じて主体的で創造性の高い人材育成をめざし、社会的・国際的貢献ができる人物を養成して参ります。